日本国憲法 第九条2項は、実質的に無効化されていた?!

 

(矢部)もう一つは、GHQ は1946年2月に(日本国)憲法の草案を書いたわけですが、その9ヶ月後の11月、『検閲の指針』というものを定める。

「検閲の指針」

 

(矢部)GHQ は当時、(日本の)新聞とか雑誌とかラジオとか、市民の手紙まで開封して検閲をしていた。その検閲対象のトップ4項目というのが、「1)GHQに対する批判」、これは総論です。2番目から個別の項目で、「2)東京裁判に対する批判」。そしてここに注目、「3)GHQが(日本国)憲法草案を書いたことに対する批判(および一切の言及)」を検閲の対象とすると。そして「4)検閲制度への言及」。だから、彼らは、「自分たち(GHQ )が(日本国)憲法草案を書いた」と言っている。しかも、「(GHQが )書いたことに対する批判を検閲の対象にした」ことも明らかにしているわけですから、これはもう議論の余地がない事実なのです。
ただ戦後のリアルポリティクスの中で、右派の人間はこれを大声で言って問題にするけれども、左派の方はこれを言いづらい。もちろん、研究者は全員知っているんだけれども、講演とかで言うと反発がすごいから言えない。研究者の中でも、研究者はいろいろな研究を並べてメディアに示すんだけれども、違うところばかりとられていく。NHKなんかもそうです。
そういう状況はあったが、この「誰が書いたか」という方の問題は非常に簡単なんです。「心理学的な問題および本質論と戦術論の問題」だから。
しかし、もう一つの(日本国憲法 第)九条2項の問題は、これは非常に難しい。

(高野)ややこしいんだと思いますよ。

(矢部)この条項は綱渡り的な歴史の中で誕生して、しかも非常に象徴的な意味を持つようになったものですから、本当に歴史を細かく見ていって、やっと「ああ、そうだったのか」と腑に落ちる。そこを飛ばしてしまうと、この条項をめぐって、

日本国憲法 第九条

 

(矢部)「非常に良い人類の究極の夢」だと言う人と、「いや、懲罰条項」だと言う人が対立して、無益な争いが生まれる。
次が日本国憲法の第九条です。まず1項、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と。
これはさっき高野さんがおっしゃったように、『国連憲章』そのものの理念でもあるし、第一次大戦後の1928年に結ばれたパリ不戦条約(註:第一次世界大戦後に締結された多国間条約で、国際紛争を解決する手段として、締約国相互での戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決することを規定した条約)の文言そのままなので、いわば国際社会の合意なんですね。しかも、この1項に関しては、日本人は本当に守ってきている。だから 第九条問題と言う時に、1項は何の問題もないから現在ほとんど議論する必要もない。

(鳩山)アメリカに「これを守れ」と言うべきですよね。

(矢部)もう本当にそうなんですよね。現在のアメリカは、『国連憲章』の最大の破壊者になっている。次に 第九条2項、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。
ここでやっぱりリベラル派が分断され、しかも議論はねじれて、かみ合わないわけです。だから、この問題を少なくとも整理して、同じ地平で議論できるような状況に持っていきたいと考えたのが、この本なんです。
なぜ私がこの問題を考え始めたかと言いますと、やはり沖縄なんです。前回放送の際に言った嘉手納という一番大きな空軍基地があって、その向かい側にドライブインがあって、こういう状況が丸見えなんです。その北側に嘉手納弾薬庫というのがある。

(高野)広大な敷地ですよね。

嘉手納弾薬庫

 

(矢部)広大な敷地です。左上に見えているのが、嘉手納空軍基地の滑走路。右上が1945年に米軍が上陸して来た海岸です。そして最初にこの一帯を押さえて南北を分断し、まず北を攻撃して無力化し、それから南下していくわけです。この広大な飛行場と弾薬庫は、片側二車線、計四車線の広い道路で分断されているんですが、地下に通路があって、自由に行き来できるようになっている。
非常にショックだったのは、こういう弾薬庫がたくさんあるということなんです。

核兵器を備蓄していた辺野古弾薬庫

 

(矢部)これは実は辺野古基地の弾薬庫で、なぜ(辺野古基地)かと言うと嘉手納はものすごく警備が厳しくて、こういう写真は絶対に撮れないからなんです。ですから、これは(嘉手納基地と)同じ型の辺野古の弾薬庫ですが、その中にこういう風に核兵器が備蓄されていたわけです。この左下の写真は、(辺野古基地の弾薬庫)そのものの写真じゃないのですが。

(鳩山)そうですよね、びっくりしたんですけれども。

(矢部)アメリカの国防総省が(辺野古基地と)同じタイプの弾薬庫の内部を公開したものなんです。

(鳩山)辺野古(基地)のこの弾薬庫の中に核兵器が入っている可能性はあるんですか。

(矢部)現在ですか? 現在は入っていないと思いますけれども、その気になればいつでも運び込めるようになっている。辺野古基地には入っていないと思うのは、僕らがこの辺まで行って撮影できるんですよ。警備がまったく厳重じゃないから。でも嘉手納基地には、ひょっとしたらあるかもしれませんね。ものすごく警備が厳しいですから。
ただ、今、辺野古に新基地建設しようとしているのは、こういう施設があるからで、辺野古に新しい軍港と飛行場を作ったら、この弾薬庫が生きてくる。いつでもここに核兵器を入れておける。

(高野)普天間基地には軍港はなかったですが、今度、(辺野古には)軍港まで作っちゃうんですからね。

(矢部)こうした核兵器の弾薬庫は、佐藤栄作が結んだ有名な密約によって、「(沖縄)返還後も、いつでも使えるように準備しておけ」と言われていた。これが非常にショックだったのは、我々は戦後の沖縄にはいろいろ辛い状況があったということは知っていたんですが、この核兵器がいつでも日本の本土の米軍基地に運ばれて、そこから飛び立って、中国やソ連を攻撃できるようになっていたという・・・。横田とか三沢とか厚木とかそういう本土の基地へ・・・。

(高野)その頃(冷戦時代)は対ソ戦略を中心に考えていましたから、沖縄からいきなり出てくるんじゃなくて、(本土の)三沢基地とかそういうところでバウンドするんでしょうね。

(矢部)三沢基地なんかは、ほとんど核攻撃の演習しかやっていないですからね。

(高野)そうですよね。

(矢部)そのことを僕は4年前に知ったんです。1960年代には、沖縄(の基地)に1,300発の核兵器があり、それがいつでも日本の本土の基地に運ばれて、そこから中国やソ連を核攻撃できるようになっていた。そうすると、日本列島というのはユーラシア大陸の東に、弓のような形であるわけですから、中国・ソ連にしてみたら、自分たちの脇腹に、どんなところからでも1,300発もの核攻撃ができるようになっていたと。

地球儀を横にして見た日本の位置づけ

 

(矢部)アメリカは「キューバ危機の時に、ソ連が数発の核弾頭を持ち込んだ(アナディル作戦)」と言って大騒ぎしたわけですけれども、自分たちは1,300発も(日本の沖縄に)持ち込んでいた。
先日来日したオリバー・ストーン監督とピーター・カズニック(アメリカン大学・歴史学部准教授)さんが“The Untold History of the United States”(『語られざる米国史』)という本を書いて、今、我々がやっているようなことと同じようなことをやっている。つまり、アメリカにとって不利な「世界の歴史」を、彼らは発掘してるわけです。「第二次大戦で勝利したのは、本当はソ連の力が大きかったからだ」とか、「日本に原爆を落としたのは、本当は必要なかった」とか。

(高野)不都合な真実というやつですね。

(矢部)我々も同じ様ようなことをやっているんですが、そうすると「日本国憲法 第九条2項とはいったい何だ」ということになる。日本国憲法 第九条2項があったから、日本人は戦争に行かなくて良かった。人を殺すこともなかったし、殺されることもなかった。安全だった。日本人、特に本土の人にとっては良い条項だったけれども、要するに、ここ(日本)が戦争の拠点なわけです。戦争というのは現場の戦闘よりも、むしろロジスティックス(後方支援)のところが勝敗を決すると言われているわけですから。
先日、「憲法九条にノーベル平和賞を」という運動がありましたけれども、日本人にとっては役に立つ条項だったかもしれないけれども、世界的に見てノーベル平和賞というのはとんでもない話なわけです。ここ(日本)を拠点にアメリカはあらゆる戦争をやってきたわけですから。そうした事実を知って、(日本国憲法 第)九条2項について考え始めた。