日本国憲法と国連憲章は二卵生双生児だった「第2の密室=密室の30時間」

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(矢部)少し駆け足で行きますけれども、先程申し上げた「第1の密室=密室の9日間」というのがあって、1946年2月4日から12日にかけて、ケーディス大佐を中心に25人のGHQ民政局員がパートごとに分担して日本国憲法の草案を執筆した。その事実は、もう本当に細部まで分かっていて、何日にどういうことを議論したかということが、私が編集した先程の本に書いてあります。
ただ、その後、日本人があまり知らないことですが、「第2の密室」というのがあるわけです。

「第1の密室(密室の9日間)」「第2の密室(密室の30時間)」

 

(矢部)これは日本側が(日本国)憲法草案を渡され、それを翻訳して自分たちの条文を作ることになったわけですが、最終的にアメリカ側と協議して条文を確定する段階っていうのがあった。それが1946年3月4日の午前から5日の午後4時、これが「第2の密室=密室の30時間」です。
その時に(内閣)法制局の部長だった佐藤達夫さんという人が、一人でそれに対応した。

この人はものすごく文才がある人で、その時のことを自伝に書いてます。結局、日本側が考えていた草案は、どんどん元に戻されて(GHQ側の)原案に近づいていくと。でも、とにかく頑張って、徹夜で30時間かかって(日本国憲法条文を)まとめ上げる。そうすると、ホイットニー局長が入ってきて、佐藤さんに「本当にありがとう」と言って握手を求めてくる。その時に、佐藤さんとしては違和感があって、「これは、いったいどこの国の憲法を作っているのかという気がした」ということまで書いている。
ものすごく頑張って、自分たちの(日本国)憲法を仕上げたら、アメリカ側の責任者から「ありがとう」と握手を求められて、ちょっと高揚感があったと、今の安保村の萌芽が芽生え始めていた雰囲気があったと。その後は、執筆から提示、そして受け入れ、それで条文作成のあらゆるプロセスがGHQの計画通り進んで行ったということは明らかなんです。

(鳩山)(日本側が)閣議決定するのは、この(日本語に)翻訳する前ですね。

(矢部)はい、ちゃんとした(正式な日本語の)条文を作る前なんですね。
今言った2月26日に受け入れを閣議決定するというのが非常に重要なのは、その日に極東委員会が発足することになっていたからなんです。それまで日本占領はほとんどアメリカ軍だけでやっていたんですけれども、それに対してソ連などから不満が出た。それで、ソ連や他の国を入れた11ヶ国による極東委員会をワシントンに作って、それが日本の占領政策の最高決定機関となって、2月26日以降はGHQよりも極東委員会の決定が優先されることになっていた。
だから、ものすごく急いで日本国憲法草案を作ろうとした。

(高野)それまでに決めちゃわなきゃいけないということですよね。

(矢部)それに先駆けて、2月1日に、ケーディスが「憲法のリフォームについて」というレポートを提出しているんです。これはマッカーサーに対して、自分たちが日本の憲法を改正するにあたって、どういう法的権限を持つかについて報告したものです。
面白いですよね。常に法的権限というものを押さえている。現実にやっていることは結構無茶苦茶なんだけれども、法的なロジックだけは絶対に押さえながらやっていくわけです。
これがすごく面白いのは、要するに「2月26日 までは何をやっても良いんだ」「だから、(日本国憲法の)草案作っても良いんだ」と。簡単に言うと、そう報告書に書いてある。でも、2月26日以降は極東委員会の決定が優先する。
しかし、「その後も日本側が提出する憲法について、それを認めるとか認めないとかいう判断については、GHQ側がやって良い」という(法的権限に関する)レポートを出している。だから、2月26日までに(GHQ側が)自分たちで(日本国憲法の)草案を書いて、それを日本側に飲み込ませて、後は日本側が作っているという形をとりながら、(日本国憲法の)条文を認める認めないという形で(GHQ側が)コントロールしたら、法的に正しい(後で誰も文句が言えない)。

(鳩山)でも、無茶苦茶ですね。だって、日本語の条文が最終的に決まる前に受け入れを(日本側が)閣議決定しちゃってる。

(高野)それは極東委員会やソ連の意向が入ってきたら(アメリカにとっては)大変だよって。(日本国憲法が、アメリカの意に反して)どんな風に変質しちゃうか分からないということでしょう。

(矢部)ここで、さっき鳩山さんがおっしゃった天皇の問題が出てくる。極東委員会に決めさせると、天皇制を廃止させられるかもしれないという恐れがあったわけです。だから、(米国に)押し付けられているんだけれども、日本側の天皇制温存という意図とも重なるという意味では日米合作で、背後には「天皇を守るために急いだ」ということがあるわけです。やっていることは滅茶苦茶なんだけれども、日本人のマジョリティが残してほしいと思っている天皇制を守るために、こういうことをやったっていうことが、状況を非常に複雑にしているんですね。
ここで、非常に重要なことは、2月1日にケーディスが「自分たちで(日本国憲法の)草案を書きましょう」という報告を出した。その2月1日とはどういう日だったかというと、これは国連軍創設のための第1回軍事参謀委員会が招集される日だったんです。
そのことをケーディスもマッカーサーも絶対に知っていた。というのは、これは国連安保理決議の第1号なんです。最初に国連が招集されて、その国連の心臓部である安保理が最初に出した決議なんですね。だから絶対に2人とも知っていたはずです。この日本国憲法の問題を考える時に一番重要なのは、それが第1回の国連総会と同時に執筆され、『国連憲章』との密接な関連の上で生まれたこと。だから(日本国憲法の)条文ができた経緯も、憲法の限界も、『国連憲章』のことを知らないと分からない。けれども、『国連憲章』の本って、日本には本当にないんです。

(高野)ないですね。ほとんどの国民はちゃんと最初から最後まで読んだ人っていないと思いますよ。

(矢部)新書とかで簡単な解説書があっても良いと思うんです。

(高野)(『国連憲章』の)できた経緯とかね。これもいろいろなせめぎ合いの中で出来上がってくるわけですから、それは。
国際法の教科書みたいなところに若干短く出てくるということはあっても、一冊にピシッとまとめられた解説書というのはどうなんでしょう。僕は見たことないですね。

(矢部)早稲田大学ですかね、最上敏樹さんという教授の方が一人いらっしゃいますが。本当にこんな重要な問題をまとめてある本が少ないのは、これが日本の現在の完全主流派である安保村にとって非常に都合が悪いからでしょうね。『国連憲章』の内容っていうのは。だから、隠蔽されてきたということがあると思います。