国連憲章が産み落とされた理由

 

(矢部)ざっくり言いますと、『国連憲章』にはいろいろな条文がありますけれども、私が一番中心的な条文だと思うのは第103条です。

 

(矢部)「国際連合の加盟国において、『国連憲章』にもとづく義務と、他のいずれかの国際協定にもとづく義務とが抵触するときは、『国連憲章』にもとづく義務が優先する」と。これが第103条。
要するに、現在200か国近い国が国連に加盟しているんですが、それらの国の間で結ばれた「あらゆる協定よりも、『国連憲章』が最上位だ」ということを決めているわけです。
だから、1945年に戦争が終わる直前に、サンフランシスコで条文を決める会議をするんですが、その時に(事前に)徹底した諜報活動をアメリカは同盟国に対して行なっています。それは第二次大戦というリアルな戦争も重要だけど、その後に訪れる戦後世界の覇権を考えたら、『国連憲章』の条文を自分たち(アメリカ)の有利なように設定することが、いかに大事かということを非常に分かっていたからです。それで、この第103条と、その一つ前の第102条によって、あらゆる条約や国際協定はすべて国連に登録して公表され、一元的に管理されるということを決めるわけですね。
日本の憲法を考える時に、大きな盲点となっているこの『国連憲章』なんですが、最低でも次の4つの段階を押さえないと分からない。

国連憲章へ至る3つのステップ

 

(矢部)最初は『大西洋憲章』で、つまり「イギリス・アメリカ共同宣言」です。これが書かれたのは、1941年8月14日で、まだ日本とアメリカは戦争していない段階です。

(鳩山)非常に早い段階ですね。

 

(矢部)大西洋上で、アメリカのルーズベルト元大統領とイギリスのチャーチル元首相が会談して、『大西洋憲章』を決めるわけです。ここに何が書かれているかというと、戦後世界の枠組みが書かれているんです。

(鳩山)戦争を始める前からね。

(矢部)これには8項目の合意事項があって、それらは明らかに、これからアメリカが参戦して世界大戦を始めるという前提で書かれたものですが、戦争のことは全然書かれていないんです。書かれているのは、戦後世界をどうするかというプランなんです。

大西洋憲章の主な合意事項

 

(矢部)たとえば、第1項は「両国は、領土その他の拡大を求めない」。これは、「領土不拡大の原則」と言います。要するに、「今から世界大戦を始めて世界中が滅茶苦茶になるけれど、終わった時の混乱に乗じて、自分たちが領土を拡大するようなことはしませんよ」ということです。
第3項は「両国は、すべての民族が、自国の政治体制を選択する権利を尊重する」。
つまり、「民族自決の原則」です。
第6項は「両国は、ナチスによる暴虐な独裁体制が最終的に破壊されたのち、すべての国民が、それぞれの国境内で安全に居住できるような、またすべての国の民族が恐怖と欠乏から解放されてその生命をまっとうできるような平和が確立されることを望む」。

(鳩山)どこかで聞いたことがあるような文言ですね。

(矢部)そうなんです。この第6項の後半は、日本国憲法前文(「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という部分)そのものなんです。だから、明らかにケーディスたちは、『大西洋憲章』を見ながら日本国憲法草案を書いていたということが分かるわけです。(この時点では、まだ日本が参戦していませんので、「ナチス」という表現になっていますけれども、この後、日本も参戦しますので、この辺が後に敗戦国の日本とドイツに対する『国連憲章』の「敵国条項」の起源になってくるわけです。)
もう一つ非常に面白いのが、第8項ですね。まず「両国は、世界のすべての国民が、現実的または精神的な理由から、武力の使用を放棄するようにならなければならないことを信ずる」と。これが(日本国憲法) 第九条2項の片面の起源です。
次、「もしも陸、海、空の軍事力が、自国の国外へ侵略的脅威をあたえるか、またはあたえる可能性のある国によって使われつづけるなら、未来の平和は維持されない。そのため両国は、いっそう広く永久的な一般的安全保障制度(これが後に国連安保理になっていくわけです)が確立されるまでは、そのような国の武装解除は不可欠であると信じる」。これが、(日本国憲法) 第九条2項のもう片面の起源なんです。
先程、第九条2項は「人類究極の夢」か、「懲罰条項」かと言いましたけれども、両方なわけですね。この第8項を見たら明らかなんです。(前半が「人類究極の夢」で、後半が「懲罰条項」になっている。)
ただ、その「懲罰条項」としての性格は、条文を読めば分かるように、本来は、過渡的条項でしかなく、「世界レベルでの安全保障制度ができるまで」という期間限定のものだったわけです。

(鳩山)戦争が始まる前に、その後の構想を決めておくというのは、大した国々ですよね。

(高野)アングロサクソンの特徴かもしれないですね。

(矢部)これがすごいのは、まず、この『大西洋憲章』でイギリスとアメリカがしっかり手を握るわけですね。
これ(『大西洋憲章』)は、一般的に『Atlantic Charter』って言いますけれども、正式名称は『イギリス・アメリカ共同宣言』、『The Anglo American Joint Declaration』。つまり、「戦後世界はこの英米同盟(アングロアメリカ同盟)基軸で仕切っていくぞ」と、ここで宣言をするわけです。その後、声明に従って『連合国共同宣言』というものを4ヶ月後に作ります。この時点で、26か国による巨大軍事協定です。その中で、右手でソ連、左手で中国と手を握って、連合国という軍事協定を結ぶ。一方、日本が手を結んだのは枢軸国ですが、・・・

(高野)日独伊三国同盟ですね。

(矢部)そうした枢軸国みたいなのを作るわけですけれども、それはほとんどちゃんとした軍事的連携なんかできなかったわけです。皆ばらばらに動いていた。そういう意味では、そうしたコーディネート力は、(米英は)すごく優れていると言えます。
さらに、『大西洋憲章』の時点では(米英)2ヶ国なんですけれども、その後ほとんど戦争に勝つという見込みができた段階で、1944年10月9日の段階で、『国連憲章』の原案を作るわけです。その段階で、後に安保理の常任理事国となるソ連と中国を招いて4か国で『ダンバートン・オークス提案』という『国連憲章』の原案を作ります。
その後、1945年に51ヶ国を集めて『国連憲章』を作った。こうした物事の進め方ですね。これは日本人には最も欠けているところだと思います。

(高野)そうですね。きわめて論理的。

(矢部)戦争中も、中国はもう日本ともう戦争状態にあるけど、ソ連と日本とは中立状態であるから、一同には会さないんですね。『ダンバートン・オークス提案』という『国連憲章』の原案は、「ビッグ4(フォー)」という、のちに安全保障常任理事国になる4ヶ国が、英米プラス中国と、英米プラスソ連という形で、2回に分けて協議した。そして翌年、『国連憲章』を作った。
どうしてこの問題が(日本国憲法) 第九条2項にからんでくるかと言うと、『大西洋憲章』から『ダンバートン・オークス提案』までの段階は、「個別国家の戦争は違法」という構想なわけです。簡単に言うと、「国連軍を作るんだ」と。

(鳩山)集団安全保障体制ですよね。

(矢部)はい。安全保障理事会が戦争する権利を独占して、普通の一般の加盟国は戦争も武力も交戦権も放棄して、国連軍の方に武力を供出するという構想なんです。だから、これが(日本国憲法) 第九条2項の起源なわけですよね。なぜかといえば、さっき言ったように、ケーディスとマッカーサーたちが日本国憲法 第九条を書いた段階(1946年2月1日)というのは、国連軍創設のための第1回軍事参謀委員会の協議が始まった、まさに同じ日だったわけですから、完全に(国連憲章の原案)『ダンバートン・オークス提案』を前提としているわけです。
だから、(日本国憲法) 第九条2項に関して、右派の方は「第九条2項は単なる懲罰条項で、あんな無茶苦茶なものを押し付けられて・・・」と言っているけれども、本来の国連の構想(国連憲章の原案)が実現していたら完全に現実的な立脚点を持っていた。

(高野)そうですね。だから、むしろこの国連の側の最初の考え方が挫折したというところが、戦後世界にとっては大きいわけですよね。日本国憲法にとっても、わけの分からない状況になってしまった。

(矢部)国連の理想がなぜ挫折していったかと言うと、それが今問題になっている「集団的自衛権」なんです。この条項は『ダンバートン・オークス提案』の時には、なかった。それが『国連憲章』になった時に急に入る。
これは今までの通説では、《国連憲章は、(南米諸国が米国の覇権に対抗するため結んでいた)「地域同盟条約」に基づく軍事行動は、国連安全保障理事会の許可なしには発動できないと定めていた。これに》南米諸国が反発し、国連憲章の締結が危うくなったので、妥協の産物として「集団的自衛権」という概念が定められたということになっています。しかし、先程言ったようにアメリカは、戦後世界の覇権は『国連憲章』の条文次第だということをよく分かっていて、猛烈な諜報活動をしているから、そんな甘い話であるはずがない。(『国連憲章』に「集団的自衛権」が入ったという点で)非常に影響が大きかったのは、この構想(『ダンバートン・オークス提案』)をずっと引っぱってきたルーズベルト元大統領が『国連憲章』の条文を作り始めるんですが、サンフランシスコ会議が開催された1945年4月25日の直前に死ぬわけです。トルーマン(大統領)に変わる。これが非常に大きい。
もう一つは、同じ4月25日に書かれた陸軍長官スティムソンの『日記』というのがあるんですけれども、その日の日記に、「4ヶ月後に原爆ができるという見通しが立った」と書かれている。
だから、この2つが非常に大きな影響を及ぼして、「集団的自衛権」が『国連憲章』に加えられた。これは一言で言うと、「個別国家の戦争は違法」という国連本来の理念を崩すものだった。個別国家も戦争できるという条項を入れてしまった。

(高野)本来、国連の理想は『ダンバートン・オークス提案』なんだけれども、それがうまく機能しない時、「どうするんだ」っていちゃもんを付けて、「その時は今までの方法でやるしかないですね」という、そういうことなんですよね。だから、逆に言うと「集団的自衛権」を推進する皆さんが「『国連憲章』にちゃんと書いてある」っていうのは、非常に間違った印象を与えるものなんですよね。
だから、本来の理想というのは、「個別国家の戦争は違法」という理念なんだということは知っておく必要がある。

(矢部)しかも、マッカーサーは日本国憲法の草案を書いた時点で、2年後の1948年に大統領選に出馬することを決めていました。マッカーサーは前の任地であるフィリピンでも不戦憲法の条項を作っていたわけですから、明らかにマッカーサーが大統領になって、『ダンバートン・オークス提案』の構想は維持されていたら、日本国憲法 第九条2項というのは現実的な立脚点を持つ憲法だったわけです。
ただ、それを見越して書いちゃったわけだけど、それはやっぱりフライングであって、ちょっと早かったわけですね。現実は思った通りには動かず、ケーディスもマッカーサーもその後、失脚してしまうので、(日本の独立時に)訂正できなかった。ケーディスは「(日本の)独立時に書き直すと思っていた」とエクスキューズのように何度も言っていますが、やっぱりそれは自分ではフライングで失敗だったと思っていたのだと思います。

(鳩山)本来、日本は独立する時に、(日本国民が)自分の憲法を自分たちで作っていなきゃいけなかったんですよ。それをやらなかったというのが、最大の問題でもありますよね。

(矢部)それがどうしてできなかったかというと、最大の問題は、やっぱりGHQが条文の形で書いて密室で(日本政府に)渡し、日本人が書いたことにした。しかも、それを検閲によって知らせないようにした。だから当時は、国会議員の上の方のわずかな人しか実情を知らないわけで、一般の国民は自分たち(日本人)が書いたと思っていたからだったんでしょう。

(高野)だから、(当然、日本人が)「自分たちで独立時に絶対憲法を作り直すんだ」っていう気迫は、どこからもわいてこなかった。

(矢部)その時に、本当に1回(日本人自らが日本国憲法を)作っておけば、現在のようなことにはおそらくなってなかったと思います。

(高野)そこで(日本国憲法 第)九条の特に2項が宙に浮いちゃうわけですよね。